Gilbert Charles Stuart
ギルバート・スチュアート(Gilbert Charles Stuart,1755年12月3日 – 1828年7月9日)
ギルバート・スチュアートは、アメリカの肖像画家で、特にジョージ・ワシントンを描いた作品で知られています。彼はアメリカ美術史において最も重要な肖像画家の一人とされ、その作品はアメリカの歴史と文化に深い影響を与えました。彼が生涯で描いた肖像画は1,000点以上にのぼり、その中にはアメリカ初代6人の大統領の肖像も含まれます。
1. 初期の人生と教育
ギルバート・スチュアートは1755年12月3日、ロードアイランド植民地のソーンダースタウンで生まれました。父親は植民地初の嗅ぎタバコ製造所で働く職人でした。スチュアートは6歳の時に家族と共にニューポートに移り住み、この地で絵画への興味と才能を見せ始めます。
1770年、彼はスコットランドの画家コズモ・アレクサンダーと出会い、彼のもとで美術の基礎を学びました。1771年、スチュアートはアレクサンダーと共にスコットランドに渡りますが、師の死により2年後にアメリカへ戻りました。この時期の経験はスチュアートの画家としての基礎を築きましたが、本格的な成功には至りませんでした。
2. ヨーロッパでの修行と成功
独立戦争が始まると、スチュアートはさらなる技術を求めてヨーロッパへ渡ります。1775年、彼はロンドンで活動していたアメリカ出身の画家ベンジャミン・ウェストのもとを訪れ、弟子入りしました。ウェストはスチュアートの才能を認め、彼に6年間の指導を施しました。この期間中、スチュアートは王立芸術院で作品を発表し始め、1782年に『スケーター』という作品で一躍名声を得ました。この作品は彼に初めての商業的成功をもたらし、「一枚の絵で突然名声を得た」と後に語っています。
その後、スチュアートはイギリスやアイルランドで約18年間活動し、当時最も高額な報酬を受ける肖像画家の一人となりました。彼は貴族や裕福な商人の肖像を数多く描き、名声を築きました。しかし、彼の浪費癖と金銭管理の問題により、安定した生活を送ることはできませんでした。
3. アメリカへの帰国と新たな挑戦
1793年、スチュアートはアメリカに帰国します。ニューヨークで短期間活動した後、1795年にはペンシルベニア州ジャーマンタウン(当時のアメリカの首都フィラデルフィア近郊)に移住しました。この地でスチュアートは新しいスタジオを開き、アメリカの著名人の肖像画を数多く制作しました。
特にスチュアートが熱望していたのは、ジョージ・ワシントンの肖像画を描くことでした。彼は1795年3月に初めてワシントンと対面し、以後、ワシントンの肖像画をいくつも制作しました。その中でも有名なのが『アセナイム』と呼ばれる作品で、後に1ドル紙幣や切手にも使用されました。スチュアートとその娘たちは、この作品の複製を130枚以上制作しましたが、元の作品は未完のまま残されています。もう一つの有名な作品が『ランズダウンの肖像』で、この作品は1812年戦争中にファーストレディ、ドリー・マディソンによって救われたことでも知られています。
4. 晩年と影響
スチュアートはその後、1805年にボストンに移住し、そこを拠点に活動しました。彼は依然として高い評価を受けており、多くの著名人の肖像を描き続けました。さらに、ジョン・トランブルやトマス・サリーといった若手画家たちがスチュアートを訪れ、彼の技術やアドバイスを求めました。
しかし、スチュアートは金銭管理が苦手で、生涯を通じて経済的な困難に苦しみました。1824年に脳卒中を患い、部分的に麻痺しましたが、それでも1826年まで絵を描き続けました。1828年7月9日、スチュアートはボストンで72歳で亡くなりました。彼は死去した時、借金に悩まされており、家族は墓地を購入することができませんでした。そのため、彼はボストン・コモンの旧南墓地に無名の墓として埋葬されました。後に家族が彼の遺体を移そうとしましたが、正確な埋葬場所を特定することができず、彼の遺体は現在もそのままです。
5. 遺産と評価
ギルバート・スチュアートの肖像画は、アメリカの歴史において重要な文化財となっています。彼の作品は単なる肖像画を超えて、アメリカ建国期の歴史や価値観を伝えるものとして評価されています。彼の描いたジョージ・ワシントンの肖像画は、今日でもアメリカの象徴として広く認識されています。
また、スチュアートの人柄も肖像画家としての成功に寄与しました。彼の座談は楽しいものであり、多くの著名人が彼のスタジオを訪れる理由の一つとなっていました。ジョン・アダムズは、「スチュアートのもとでは、一年中座っていても飽きることはない」と述べています。
ギルバート・スチュアートは、アメリカ肖像画の基礎を築き、後世の画家に多大な影響を与えた人物です。その作品と影響力は、アメリカの美術史において永遠に記憶されるでしょう。