2021年11月8日
ジョージア大学の教授であったモイナ・マイケルは、第一次世界大戦が開戦するとき、ヨーロッパでの休暇からの帰途にありました。帰国すると、アメリカからも兵役についた市民があったことを知って、ヨーロッパで従軍している家族に手紙を書く運動を始めました。
戦中マイケルは、YMCAに志願し、支援していましたが、戦争の荒廃についてのジョン・マクレイ中佐の有名な詩「フランダースの野に」に触発されます。彼の詩に描かれた 「フランダースの赤いポピー」 に因んで「赤いポピー」を身に着け戦没者への哀悼を表しました。マイケルがYMCAで花を飾っていた謝礼で、絹でできた赤いポピーを買いそれをYMCAの代表者たちにも同じように身に着けてもらいました。これが、マイケルが「ポピー・レディ」と呼ばれるようになる運動の始まりでした。1920年米国在郷軍人会が赤いポピーをシンボルとして採用し、ポピーの頒布によって、退役軍人のために数百万ドルを調達しています。
彼女は、1944年に亡くなりますが、1948年11月9日に生前の活動をたたえた切手が発行されました。