D.H.ユースティス (1886年5月30日–1946年9月8日) とM.フランク(1908年3月23日–1980年11月22日)は、アメリカ初の盲導犬学校である「シーイングアイ」を1929年1月29日に設立しました。
1886年にペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれたユースティスは、最初の夫の死後、スイスに移り、ジャーマンシェパードの繁殖と訓練に取り組みました。1927年、ポツダムにある失明した戦争退役軍人の補助犬を訓練する学校の活動に感銘を受けたユースティスは、サタデーイブニングポスト1927年11月5日版にThe Seeing Eyeというタイトルの記事を書きました。
B.フランクはテネシー州ナッシュビルの裕福な家庭に生まれ、6歳の時に右目の視力を失い、16歳で左目も失明します。彼は、働きながら大学を卒業しました。1927年11月5日の、サタデー・イブニング・ポストのユースティスのThe Seeing Eyeを読み、彼女に手紙を書き、アメリカでも同じような活動を推進したいと申し出ました。
ユースティスは、フランクをスイスに招き、彼と盲動犬をペアを組ませて訓練しました。フランクが盲導犬を連れて米国に戻ったとき、他の視覚障害者から盲導犬を求められることになりました。その後まもなく、ユースティスもアメリカに戻りました。 1929年、ユースティスとフランクは、目の不自由な人や視覚障害のある人が自立した生活が送れるようにするために、盲導犬学校「シーイングアイ」を設立しました。
ユースティスは生涯を通じて、財産の多くをシーイングアイに捧げてきました。彼女は1940年まで組織の会長を務め、その後は名誉会長を務めました。フランクは盲導犬を同伴する権利を主張し 1935年までに、米国のすべての鉄道は、視覚障害者が盲導犬と一緒に電車に乗ることを許可するようになります。1956年までに、アメリカのすべての州は、盲導犬に介助された視覚障害者の公共的な施設の利用を保証した法律を制定しました。
1979年6月15日シーイングアイの活動50年を記念した切手が発行されました。