1958年から1959年にリンカーン大統領生誕150周年を記念したシリーズが発行され、1958年8月27日にリンカーン・ダグラス討論にちなむ4セント切手、1959年2月27日にクーパーユニオン演説の舞台となったクーパーユニオンの100年にちなんだ3セント切手が発行されました。
1850年代アメリカ合衆国は領土を太平洋岸まで拡大していました。一方、合衆国を構成する州の中に奴隷制度を認める「奴隷州」と認めない「自由州」が存在し、対立していました。また、新しく連邦に加盟する州・準州で「奴隷制」を認めるかどうかでも、世論が対立していました。
そういった社会状況の中で、1858年のイリノイ州での連邦上院議員選挙で民主党のダグラスと共和党の新人だったリンカーンが7回の討論を行います。ダグラスは州が奴隷制をとるか否かは州が決める「人民主権主義」を主張しました。リンカーンは奴隷制の在り方は連邦政府が決めることで、奴隷制は建国の精神に相いれないという主張に傾いていきます。リンカーンはイリノイ州での連邦上院議員選挙では敗北しますが、この討論で全国に名を知られるようになり、1860年の大統領選挙を目指すことになります。
クーパーユニオン演説は、1860年2月27日にニューヨーク市のクーパーユニオン行われた共和党の演説会でリンカーンによって行われ、彼の最も重要な演説の1つと考えられています。共和党の大会は5月に予定されていたため、リンカーンはまだ大統領選挙の共和党候補ではありませんでしたが、この演説がその年の後半の大統領選挙での彼の勝因のひとつとなりました。
リンカーン・ダグラス討論、クーパーユニオン演説によってリンカーンは大統領選の争点となった奴隷制度について、廃止に向けた論理固めを進めました。一方、奴隷制の賛否をめぐる対立は先鋭化し、南北戦争に向かうことになります。