ヘンリー・ロビンソン・ルース(1898年4月3日-1967年2月28日)は、タイム、ライフなどの人気雑誌の雑誌編集者で、アメリカのジャーナリズムに大きな足跡をしました。
彼は中国で生まれ、両親は宣教師で、幼少期のほとんどを中国で過ごしました。その後コネチカット州のホッチキス高校では、ビジネスパートナーとなるブリトン・ハッデンと出会いました。二人はエール大学に進学し、『エール・デイリー・ニュース』の編集に携わりました。1920年に卒業した後、オックスフォード大学で1年過ごし、シカゴ・デイリー・ニュースの記者になりました。
1921年、『ボルチモア・ニュース』の記者となたハッデン記者とともに1922年末、タイム社を設立し、1923年3月3日に『タイム』の創刊号を発行しました。当初、ルースはビジネス・マネージャーを務め、ハッデンは編集長を務めました。その後、2人は1年ごとに社長と執行役員を交換し経営していました。1929年、ハッデンの急死により、経営の二人行脚は終わりを告げました。
ルースは、1930年2月にビジネス誌『フォーチュン』を創刊しました。1936年には『ライフ』を買収し、フォトジャーナリズムの週刊誌として生まれ変わらせました。ルーズベルト大統領は、出版社やメディアの幹部が戦闘地域に行くことを禁止する法令を出していました。これは、かねてから大統領に反対する発言をしていたルースを主なターゲットとしたものでした。
1940年代、ルースは『ライフ』誌に「アメリカの世紀」という有名な記事を書き、20世紀中の世界情勢においてアメリカが覇権を握ることを予言しました。戦後、ルースは1952年に『ハウス&ホーム』、1954年に『スポーツ・イラストレイテッド』を創刊します。1960年代半ばには、タイム社は世界最大の雑誌出版社となり、タイムは最も人気のある雑誌となりました。ルースは1964年まで、すべての雑誌の編集長を務めていました。雑誌のほか、ラジオやニュース映画にも携わり、初期のマルチメディア企業を構築しました。
ルースは生前、セーブ・ザ・チルドレン、メトロポリタン美術館、United Service to Chinaなど、多くの文化・慈善活動を支援しました。
1998年4月3日、ルースの生誕100年にちなんで、32セント普通切手が発行されました。