Founding of the Mayo Clinic
1889年9月30日メイヨー・クリニックの最初の施設セント・メリーズ・ホスピタルが開業した。
メイヨー・クリニックは段階的に発展してきた。その歴史は南北戦争に遡る。1863年、ウィリアム・ウォーラル・メイヨー(1819年5月31日–1911年3月6日)は徴兵検査のための審査医となり、ミネソタ州ロチェスターに派遣された。彼はこの町を気に入り、妻と2人の息子ともに一緒に住むことにした。
それから20年後の1883年、竜巻がミネソタ州ロチェスターを襲い、24人が死亡、40人以上が負傷した。ウィリアム・メイヨーと息子のウィル(ウィリアム・ジェームス・メイヨー、1861年6月29日-1939年7月28日)、チャーリー(チャールズ・ホレス・メイヨー 1865年7月19日-1939年5月26日)、は、聖フランシス修道女会のマリア・アルフレッド・モーズ(1828年10月28日-1899年12月18日)とともに、負傷者を治療するための仮設病院を立ち上げた。
この悲劇から立ち直ると、モーズはウィリアム・ウォーラル・メイヨーに病院を開くことを提案した。メイヨーは、「それはいい考えだ」と同意し、そこで働くことにした。そして、1889年9月30日にセント・メリーズ・ホスピタルが開院したのである。やがて、メイヨーの息子であるウィリアムとチャールズも、病院で患者を診察し、手術を行うようになった。
そして、1914年、息子たちはロチェスターに自分の医療センターを建設した。大きな成功を収め、多くの患者が訪れるようになり、医学の知識も豊富になったため、ウィリアムとチャールズ・メイヨーは医師を増員した。
その中には、検査や診断など、特定の業務に専念する医師もいた。この医療センターが、後に 「グループ・プラクティス」と呼ばれるようになる始まりだった。ウィリアム・メイヨーは、「医学における個人主義は、もはや存在しえない」と言った。臨床医、専門医、検査技師が患者のために一体となり、協力し合う科学として医学を発展させることが必要になっていた。
こうしてメイヨー・クリニックは、整形外科(1912年)、神経科(1913年)、胸部外科(1915年)、皮膚科(1916年)、小児科(1917年)などの専門医制の概念を導入したのです。この診療コンセプトは、患者のカルテを1つのファイルにまとめ、診療のたびに閲覧できるようにするなど、さまざまな工夫を生み出した。
1919年、メイヨー兄弟は診療所と資産の大部分を、メイヨー・クリニックを維持する非営利の慈善団体に譲り渡した。現在、3つのクリニックと4つの病院からなるメイヨー・クリニックでは、これまでに500万人以上の人々が治療を受ける、世界最大の医療センターの一つとなっています。
1964年9月11日ウィリアム・ジェームス・メイヨー、チャールズ・ホレス・メイヨーの兄弟を描いた記念切手が発行された。