アサ・フィリップ・ランドルフ

アサ・フィリップ・ランドルフ（1889年4月15日 – 1979年5月16日）は、アメリカ合衆国の労働運動家であり、公民権運動の先駆者として知られる人物です。彼は、アフリカ系アメリカ人の労働者の権利と、人種差別の撤廃を目指して生涯をかけて活動しました。

ランドルフは1889年、フロリダ州で生まれ育ちました。当時のアメリカ南部は「ジム・クロウ法」と呼ばれる人種差別的な法制度のもとにあり、黒人に対する差別が日常的に存在していました。彼は比較的裕福な家庭に育ち、クックマン研究所（Cookman Institute）で教育を受けました。その後、彼は「大移動（Great Migration）」の波に乗り、より自由な環境を求めてニューヨークへ移住しました。

ニューヨークでランドルフは、社会主義思想や労働者の権利運動に触れ、強い影響を受けました。彼はアフリカ系アメリカ人が社会的、経済的に解放されるには、単なる人種平等の枠を超えて、労働者全体の権利を拡大する必要があると考えるようになりました。この信念を元に、彼は1920年代に社会主義政党からニューヨーク州の公職に立候補しましたが、当選は果たせませんでした。しかし、その後の労働組織活動で大きな成果をあげることになります。

1925年、ランドルフはアフリカ系アメリカ人による初の成功した労働組合「寝台車労働者同盟（Brotherhood of Sleeping Car Porters）」を組織し、リーダーとして指導にあたりました。この組織は、当時全米で広く運行されていたプルマン社の寝台車で働く黒人労働者たちの権利向上を目指して設立されたものです。プルマン社の労働条件は極めて劣悪で、長時間労働・低賃金・差別が横行していました。

ランドルフの粘り強い交渉と政治的圧力により、この労働組合は最終的に1937年に正式に労働協約を勝ち取り、アフリカ系アメリカ人の労働者の待遇改善に大きく貢献しました。これは、アメリカにおける黒人労働者の歴史にとって、画期的な出来事でした。

ランドルフの影響力は、労働運動の枠を超えて国政レベルにも広がっていきました。彼は1941年、連邦政府が黒人を防衛産業から排除していることに抗議し、「ワシントン大行進」を計画しました。この抗議の圧力を受け、当時のルーズベルト大統領は「行政命令8802号」を発令し、第二次世界大戦中の防衛産業における人種差別を禁止しました。

また、1948年には、トルーマン大統領が「行政命令9980号」と「9981号」を発令し、連邦政府における雇用差別の禁止と、軍隊の人種統合を実現しました。これもランドルフを中心とした市民運動の成果といえます。

ランドルフの活動のハイライトの一つは、1963年に行われた「ワシントン大行進」への関与です。この行進では、ベイヤード・ラスティンとともに組織の中核を担い、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が有名な「I Have a Dream（私には夢がある）」演説を行いました。ランドルフは行進の精神的指導者として、多くの若い活動家たちに影響を与えました。

この行進の成功は、公民権法の成立や、社会全体の人種意識改革にもつながり、アメリカにおける人種平等運動の転換点となりました。

1967年には、ランドルフは「自由のための予算（Freedom Budget for All Americans）」を発表しました。これは単に黒人のための政策ではなく、すべてのアメリカ人、特に労働者階級と貧困層の経済的平等を目指すものでした。この予算案は、雇用、住宅、医療、教育といった分野に焦点を当て、社会全体の経済的正義を実現しようとする試みでした。

ランドルフはその後も社会正義のために活動を続け、1979年に90歳でその生涯を閉じました。彼の人生は、アフリカ系アメリカ人が労働運動と公民権運動を通じて、いかにしてアメリカ社会の構造に影響を与え、変革を起こしてきたかを体現するものです。