1852年3月20日、ハリエット・ビーチャー・ストウ(1811年6月14日-1896年7月1日)の『アンクル・トムの小屋』が出版されました。
1700年代後半から1800年代半ばにかけて、アメリカ政府では奴隷制の問題が盛んに議論されていました。北部と南部の政治家が、奴隷制を認める州、認めない州を新たに追加することをめぐって衝突していました。
ハリエット・ビーチャー・ストウは積極的な奴隷廃止論者で、特に、他の州や準州に逃亡した奴隷を奴隷所有者が引き取ることを認めた「逃亡奴隷法」に憤りを感じていました。シンシナティに住んでいたストウと彼女の夫は、「地下鉄道」の一員として、カナダへ向かう逃亡奴隷に自宅を提供していました。
ストウがこの物語を書くきっかけになったのは、1歳半で息子を亡くしたためでした。ストウは「身近な人を失った経験から、不当な競売にかけられる哀れで無力な奴隷たちに共感できる 」と述べています。ストウの物語の最初の部分は、1851年6月5日付の『The National Era』紙に掲載されました。当初は数週間の連載を予定していたが、反響が大きく、40週にわたる連載に拡大しました。
ストウの物語の源は、1849年に出版された、カナダに逃れた奴隷の自伝である『ジョサイア・ヘンソンの生涯』で、また、ストウのシンシナティの自宅に滞在していた逃亡奴隷から聞いた話も取り入れていました。
『Uncle Tom’s Cabin; or, Life Among the Lowly』は、1852年3月20日に出版されました。初年度は約30万部が売れました。やがて、この本は主要言語に翻訳されました。『アンクル・トムの小屋』は19世紀に最も売れた小説であり、聖書に次いで2番目に売れた本で、舞台やミュージカル、1900年代には無声映画、1933年にディズニーのアニメにもなりました。
2007年6月13日ハリエット・ビーチャー・ストウを描く75セント切手が発行されました。